
「みてた」「たいぎい」「とどっとる」「おらぶ」「ほいじゃがどうもならんで」
これは三次出身の友人との会話により、私に備わった三次弁の一部である。
この紙面では書ききれないほどの三次弁を彼から教わった。
大学で同じ部活だった三次出身のA。
お互いの趣味も共通していたため、すぐ仲良しになった。
このA、非常に三次弁が濃い…。
私たちの大学には、全国各地の出身者が入学し、いろいろな方言を耳にしたが、Aの三次弁がダントツに濃く、そして興味深い発言だった。
最初はまるで分からなかった。
大学が関西圏だったことから、地方出身者の多くは、一年たたないうちに関西弁を習得し、徐々に染まっていくが、Aは全く染まらない。
これはA固有の特徴だった。
彼と過ごし始めて2年目のある日、徹夜明けの私たちは歩いて大学へ向かっていた。
「オール明けの授業はたいぎいなぁ。」
私はハッとした。
Aのあの三次弁が、ついに私に乗り移ってきたのだ。
関西弁で育った私が、三次弁に染められはじめたのだ。
関西弁の私を染める方言のまち、果たしてどんなまちなのか。
三次というまちに興味が湧いてきた。
彼は、普段から三次のことをよく語ってくれた。
三次は中国地方山あいの小さな市で、過疎化が進みつつあるとのこと。
「自分の地域に信号や自動販売機がない」
「学校の授業で稲刈りをする」
「冬は昼間まで霧のため晴れない」など、都市部で育った私が驚くことばかりだった。
不便そうなまちだなと感じる私をよそに、Aはどこか誇らしそうに語る。
「僕は自分のふるさとをこんなに語れるかなぁ」
「三次はどんなまちなんだろう」
大学三年生の春、私は仲間と旅行がてら三次市へ行ってみることにした。
大阪から車で4時間。
田んぼに囲まれたAの実家で、いわゆる田舎ライフを体験させてもらった。
派手なエンタメはないが、そこには溢れんばかりの自然があった。
声をかけてくれる心優しい人々がいた。
慣れてきた三次弁が心地よい。
何か心が解放されるようだった。
Aのふるさと三次はこんなまちなのか、すばらしいじゃないか、と思うと同時に、Aの方言の強さは、ふるさと三次への愛情の深さなんだと感じた。
叶うことなら、三次へ移住してナチュラルな田舎暮らしをしてみたい。
きっと三次なら、三次弁に染められた私を受け入れてくれると思う。
三次弁に囲まれ、さらに深めていくことで、三次弁のネイティブスピーカーとして認められるくらいになれば本望である。
加えて、せっかく移住するのであれば、Aにならい、三次外の人に三次の素晴らしさを語り、三次と関わる人やつながりを持つ人が増えるような活動をしてみたい。
「どがにぃすりゃあ、ええようになるか、まめに暮らせるか」
模索しながらの三次暮らしがとても楽しみだ。