
就職先の牧場で初めて耳にした「みよし」。
知ったのは広島県内で唯一の家畜市場があるからでした。
京都出身の私が、標識に出てきた「三次」を「みつぎ」と読んで初めて来たのは7年前。
彼氏の三次の実家を目指して尾道やまなみ街道を走り、高速を下りてすぐに森を抜けて広がるのは「田舎」と聞いて想像する田園風景そのものでした。
街中での忙しい日常から見ると、休日に共に過ごす田舎暮らしのゆとりはとても魅力的に映り、この三次に可能性を感じて6年前の結婚を機に移住しました。
家業の牛飼いに従事しながら暮らす中で、集落の加工所へもお誘いを受け嫁として参加し先輩方と一緒に加工作業をしています。
私が一番若手で上は80代のお姉様まで、幅広い世代の女性で頑張っています。
作業をしながら野菜作りや料理、地域のことを教えて頂き、お茶をしながら他愛のないお話をするのは、勉強から人生の糧になり家業から離れる息抜きにもなりました。
集落に馴染んだ頃に妊娠・出産を経て母となり、子育てを通して話題が増えました。
ただ同時に、子どもの体調不良により作業に参加できない日も増えて心苦しさも感じていました。
しかし、皆さんから「作業は大丈夫だから心配しないで。子ども見てあげてね。」と温かいお言葉を頂きました。
地域の先輩方のお心遣いが子育ての心苦しさを和らげ、暮らしやすさにつながると実感することができました。
私の仕事は農業アルバイトです。
家業と加工所以外に、農協での季節仕事や周りの農家さんのお手伝いにも従事します。
三次では、どの仕事でもその暮らしやすさは変わりませんでした。
それは「雇う、雇われる」よりも、「田舎のコミュニティ」で人と人との関係性が強く、周りの皆さんが私自身だけでなく子どもたちや家族のことも知ってくれているから、だと気付きました。
子どもの元気な姿や成長を皆で喜び分かち合い「地域で子どもを育てる」ことで、私も共に親として育てられていると感じています。
これまでの経験から三次の良さは「人の良さ」だと思っています。
移住者である私が子育てと仕事のどちらも欲張りに頑張れるのは、地域の先輩方の理解があってこそ、です。
そのご恩で暮らしやすさを多くの同世代が感じ、それを次世代にもつなぐために何ができるか考えました。
そして、農業から地域の人に接して身近で気軽に関わってもらう活動を始め、親子で楽しむ農業体験などを企画しています。
今では先代から継承した家業で忙しく働く日々ですが、三次が故郷となる子どもたちが多くの大人の背中を見て、帰ってきたいと思える地域を目指します。
これからも私は、ご縁があって暮らす三次で農業をしながら生きる意義として、たくさんの方とみよし暮らしを楽しむ活動を続けていきたいと思います。