いろいろなタイミングが重なり、生まれ故郷へ
元々、生まれも育ちも三次市の秋町。東京へ上京後、勤務先の上司から軽い気持ちで勧められたネイルサロンに通い始め、思いのほかハマってしまい、ついにはそこへ転職したというユニークな経歴を持つ藤岡恵子さん。アーティストとして、ネイルサロンで指名を受けるなど活躍していた。29歳の時、さらなる自己の可能性を探るため、ワーキングホリデイ制度を活用してカナダのトロントへ渡航。
「外国に行って、いろんな事を経験していくうちに考えさせられることもあって、『やっぱり三次に帰ろう』、そう心に決めました」と藤岡さん。
「幼少期から、地域の方々が我が家に集まる機会が多く、お客さんをもてなす家族の後ろ姿を見て育ちました。地方ならではの『人と人の温かい“つながり”』が常にあり、それは私にとっていわば当たり前の光景でした。その“つながり”の大切さを改めて実感したのは首都圏で過ごし、こちらへ帰ってきてから。当時の私を、周りの人たちは、そっと見守ってくださいました」
塾の講師をしながら、子どもたちに勉強を教える楽しさ
徐々に時は流れ、地元の了徳寺の塾長から「講師をしないか」というお誘いの言葉がかかった。
「そこは私が小さい時にもお世話になったお寺の塾なんです。まさに寺子屋のような。現在私は小学生から高校生までの英語を担当しています。午前中はフリースクール部の授業、そして午後は塾として子どもたちの憩いの場になっています。私は講師として、一人ひとりの生徒がどのようにしたらスムーズに理解できるのか年数と共に追求していき、そこに面白さも感じている今日この頃です。
教え始めた当時は小学生だった子が現在は中学生になり、今でも相変わらず先生と生徒として付き合いがある。やはり教え子の成長というのは嬉しいものですね」と藤岡さん。
畑をつくることの面白さに気づき、今では出荷するほどに
「JAグループの営農指導員の方など、今まで知らなかった方々との交流も始まりました。もともと趣味程度に畑を作っていましたが、お話を聞くと「野菜を出荷する」という選択肢もあるのだと知りました。ありがたいことに、いろいろとアドバイスもいただけるようになって、少しずつ畑を大きくしていきました。今ではキャベツ、ピーマン、小菊などを地元産直市『トレッタみよし』に出荷できるほどになりました。」
そう笑顔で話す藤岡さんに、自慢の畑を見せていただいた。キレイに整えられた畑の畝(うね)にピーマンの木が規則正しく並ぶ。いかにも手を入れられ可愛がられている土地であるのが、すぐに見て取れる。敷地内にはビニールハウスが設置されるなど、もはや立派な農家さんの畑である。
「三次に帰ってきてから、いろんな方からのお声がけがあって、そのお陰でここまでやってこれました。畑をつくるって本当に楽しいんです。今まで地域でも畑を作っていなかった人々に私の方からお声がけして、それがきっかけで畑をつくる人もでてきました。ますます楽しい輪が広がるのがうれしい。私は三次での、そんな生活がとても気に入っています。」
ここには地元を一度、離れたからこそ気づいた、人や土の温かさがある。藤岡さんの笑顔が今の心地よさを物語っていた。